子どもたちのおかげで (拙著「歳時徒然」より「勇気をもらう」に加筆および一部修正)

 

プロローグ / 私は小学校の先生だった

 

  私は小学校の先生だった。

 教師の特権は、多くの事を学ばせてもらえることだ。

 子どもたちに1教えるために、教師は10知らねばならない。10を知るための営みが教師の学びであり、特権でもあり、当然、大きな喜びでもある。実に、実にありがたいことではないか。

多くの学び、それは、知識の獲得や技能の習得に留まるものではない。人間一人一人の存在の尊さ、生きることや生命の意味、人のありがたさ等々、「人間の尊厳性」を強く、深く感じさせてもらえたということにつきる。職を通じ、また、たくさんの子どもたちとの日々の学習や生活の中から得たものははかりしれない。もちろん、保護者の皆様、地域の方々、先輩や同僚のおかげも忘れてはならない。吉川英治の言葉を借りれば、「我以外皆我師」ということになるのだろうか。

とはいえ、学校や教室はいつもいつも楽しい空間であるとは限らない。子どもたちの日常、現実の学校生活は、学園ドラマのようにはなばなしくもなければ劇的なものでもない。また、今日、学校を見る社会の目は厳しい。当然のことだろう。それは、一つは、学校が抱える課題に対する社会の批判であると同時に、一つは、学校教育に対する願いや期待であると理解してきた。前者については、学校改革を実践として推進し具体の成果を出すこと、後者については、(じつ)のある新しい教育を創造することの2点を中心に、私はその職責を追究しようと努めてきたつもりだ。社会全般の危機的課題、いじめ、不登校、虐待等、教育の諸課題についてはいまさら列挙するまでもない。厳しい現実を嘆いている暇はない。何事につけ批判が先行する今の大人社会、批判は誰にでもできるし、批判は解決を生まない。課題が多いことは事実として、課題が多いからこそ前を向いてがんばらなければならないのだ。何が起こっても、すばやく対応すること、具体の手を打つことが大事である。当然、問題が発生しないための努力と併せ、親や教師はもちろん、今こそ、すべての大人の腕の見せどころといったところか。

「教師は世間知らず、学校の常識は社会の非常識」とよくいわれる。傾向としては否定しないし耳を傾けもするが、傍観者の批判に負けないようにがんばろうと私は考えてきた。不透明な社会に生きる子どもたちを救うのは何よりも教育の力、教師の意地だと自負もしてきた。

教職に就く前に勤務していた会社の専務が新入社員に檄をとばした。「不景気な時代に入社した社員は強くなる。しっかり力をつけて社に貢献しろ。もちろん、君たちの家族のためにも・・・ 。」

「 ・・・ 人間の一番の勉強は、困難を乗り越えることだ。」「 ・・・ 人間の成長も同じであろう。何の悩みも問題もないほどに与えられ、保護されてはならない。悩みゆえに人は自分を反省し、謙遜を学び、他の人に対する思いやりも生まれるのではないか。」三浦綾子の小説の一節が頭から離れない。

 

勇気をもらう

 

卒業して2年半ほど食品関係の商社に勤めていた。入社式の後、直ちに10日間の合宿に入る。社から支給される生活費を資金に同期入社の同僚たちとの共同生活、本社ビル5階に寝泊りするのだ。毎朝、自分たちで作った朝食をとり、スーツに着替えていざ勤務。朝から晩まで研修、研修、研修・・・ 。こんな10日をどう過ごす? ところがどうだ、案ずるより産むが易し、研修といってもただの講義ばかりではなく、コミュニケーションスキルを高めるゲームやロールプレイ、フィールドワーク等なかなか興味深い。各界の著名人の話も楽しかった。ぎりぎりまで修士論文に追い回されていた私にとっては新鮮な毎日だった。新しい教育を見た感じで、将来は社員教育担当の部長か専務になると密かに誓ったものだ。あっという間に合宿も終わり、支店に配属、1カ月ほど商品の運搬もした。

 5カ月支店であと本社、勤務地は南森町、毎朝超満員の地下鉄からはじき出されるようにして会社をめざす。朝早くから夜遅くまでもくもくと働いた。それはそれでおもしろかった。仕入れの勉強をしたり、ばかでかい電算機と格闘したり・・・ 。先輩社員もよくしてくださって・・・ 。

 大小の企業が林立する都会の朝の通勤風景、スーツにネクタイ、手に手にアタッシュケースをさげたダークな集団が延々と続く。するとどうだ、人の流れに逆らって、前から異様な集団が人並みをかき分け迫ってくるではないか。よれよれのトレパン姿、首から笛をぶらさげて、それでも、勢いよく歩いて来る。あとには、わいわいガヤガヤちびっ子たちが、これも元気に連なっている。そうか、小学校の遠足なのか。この場の風景にはそぐわない異様、場違い、不自然な感じがしたが、それ以上に新鮮に感じたから不思議なもの。

「そうだ、僕にも教員免許がある」と気がついたのがきっかけだった。その夏に、大阪府教員採用試験を受け、9月からの小学校勤務となった。初任校は堺市立桃山台小学校、創立間もないニュータウンの学校だ。赴任早々、校長に呼ばれた。まだ、校歌がないという。歌詞は出来たが曲がない。下手な旋律をつけた。今も「作曲:平野武男」が残っているはずだ。

最初の担任はなんと1年生だった。理科(当時は、1年生から社会や理科があった)の教科書を開くとページいっぱいの朝顔の絵、これで3時間もどうやって授業をする? しかも相手はまるでひよこの集団。昨日までネオンの街をうろついていた私には宇宙の果てに来たようだ。目の前にいるのは、さしずめ小さな小さな宇宙人。それでも、子どもは無邪気なもの。群れなし私に迫ってくる。我先に聞いてくる。

目ざとい子が、私のアタッシュケースを見つけ得意げに、「僕は先生、ルンルンルン・・・ 」、他の子も調子に乗って、「黒いかばんかっこいい」「重い重い、何、入ってるの」「ピストルが入ってたら銀行強盗や」、結局中身は指導書と体操服と運動靴・・・ 。疲れるけど楽しい。毎日が動いている。満員電車の心配もない。夜、団地の灯しか見えないのは少し寂しいけれど・・・ 。

「ゆとり教育」を目指しながらゆとりのない今の学校と違い、子どもたちといっぱい遊べた。同学年の先生と、教材研究をみっちりやった。新設校ゆえ、外の作業も山ほどあった。毎日が新鮮だった。夢中のままに、半年が過ぎた。次の年、希望どおり2年生の担任になった、しかも持ち上がり。うれしかった。未知の世界に道がついた。

 まだまだ小さな子どもたち、目が離せない、手もかかる。それでも、まとわり付くような子どもたちが無条件にかわいい。体育の時間、走り高跳びの真似事のようなゲームをさせた。小さな子どもは、なんでも大人と同じことをしたい、大人に同じことをさせたい。

「先生も跳んで、跳んで・・・ 。」

1mほどの高さのバーを跳んでみせた。すごい、すごいのオベイション。元気な男の子が言った。

「先生、なんでオリンピックに出なかったん?」

今思っても、私の教師としての原点はあのちびっこたち、私の教職32年余を支えたのは、以後も続く多くの子どもたちのエネルギーだったことに間違いはないようだ。実に多くの子どもたちが私に勇気をくれたのだ。だから今書けるのだ。

 子どもたちが勇気をくれる場面は数え切れずある。数々の手紙もその一例。

「今何歳? 何で先生になったの? 先生が怒る時の声大き過ぎよ、隣のクラスの子がびっくりしているよ。来年も担任になって。私が卒業するまで転勤しないで・・・ 。」

「私に好きな子がいるの。けんかの仲直りの仕方を教えて・・・ 。」などなど。

まじめな先生として、また子ども大好き先生としては何とかしてやろうと思うではないか。それがエネルギーなのだ。そして勇気なのだ。

 

 私には、何事にもかえがたい宝物がたくさんある。

子どもたちがくれた手紙、私のために書いてくれた詩集、丹精こめた図工の作品、大学ノートに毎日1ページぎっしり書いて1年で10冊たまった日記の2冊、手作りの小物などなど、うれしい思い出とともに私の大きな作品バッグは満員だ。

 子どもたちだけではない。保護者の皆様から、また、地域の方々から、私はたくさんの勇気をいただき、今日があるのだと感謝する日々である。そんな中から、K子ちゃんとそのお母さんからの心のプレゼントを紹介しよう。

 

 6年生のK 子ちゃんは、ピアノが得意、文章表現も豊か、そして、何よりも人間にとって何が大切かということをよくわきまえた、熱い心の女の子。ピアノに向かい何を語ろうとしているのだろう。すばらしい曲ができた。「よかったら聴いてください」といって私にくれた「K子作曲のオリジナル曲・ビリーブ」、思いを込めた手紙も添えて。小学生とは思えない豊かな曲想、優しい和声、なめらかなアルペジオ・・・。さっそく、専用の小型カセットコーダーを買い、校長室で一人聴いたものだ。大好きな音楽、私には大きな勇気。

お母さんからも手紙をいただいた。子どもを取り巻く今の課題、わが子の成長に対する思いなどを綴られて・・・。ていねいに、切切と訴えるような中身に私も心うたれ、的を射た内容になったかどうか自信がないまま返事を書いた。

 

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K子ちゃんのお母様へ

 

 

「だれでもいつか、そうなるんやから」                      川上小学校 4年 K子

 

   私は、みんなより成長が早くて、友達に悪口っぽいことを言われたとき、お母さんが、「だれでもいつか、そうなるんやから。」と言ってくれました。その一言でうれしくなりました。

 

〓 わたしをささえてくれた一言

河内長野市教育委員会 / 人権を考えよう30集)から 〓   

 

私が川上小学校へ赴任してきたとき、K子ちゃんは、4年生でした。毎朝、大きな声であいさつをしてくれたことが印象に残っています。この学校には元気な子がいるのだ、うれしいことだと思いながら子どもたちの登校を眺めていました。そんなある日、K子ちゃんの「わたしをささえてくれた一言」に出会ったのです。

 なんとすてきな文なのだろう、この子はきっと豊かなものを持っている、人の心を受け入れることができる、そう直感させられたものでした。同時に、なんと優しい一言なのだろう、この子のデリカシーは、きっと、この子のお母さんの温かい心のおかげなのだろうとも感じたことでした。

 

 今日は、人間にとって大切なもの、もっともっと大切にしたいと思われているお手紙をいただき、なにかほっこりとした朝のスタートとなりました。ありがとうございました。

 おっしゃるとおり、相手の立場にたって考えてみるということはとても大切なことです。それは、相手に対する礼儀等であったりするまえに、相手のことも考えることができる自分であることが大事だということでもあるのでしょう。お話にあった敬語についても同じことが言えそうです。敬語は、相手に対する敬意や親しみを表すためのものですが、敬語を使うということは、人を大切にするという自分の心を磨くことにもなるという意味を持つと思います。

 子どもを守り、鍛え、育てるのは大人の責任です。また喜びでもあります。確かに、不安材料の多過ぎる昨今ですが、こんな時こそ大人どうしが力を出し合いたいと思います。とかく、まわりのことばかりが気になり、批判が先行しがちな社会ですが、もともと人間はそれぞれに欠点があり、悩みや不安を抱えた、いわば不完全な存在です。不完全や未完成な存在だからこそ、助け合い支え合うことが大切なのではないでしょうか。みんな、大人も子どもも、一生懸命生きているのです。困ったときこそ助け合いです。

 

 6年生になったK子ちゃん、すっかり成長したものです。大きくなるにつれ、親の期待どおりにならないことも出てくるかもしれませんが、最初に申し上げましたように、人として何が大切なのかがよく分かっているお子さんです。目に見える成長や変化も子育ての喜びであり、時には不安であったりもしますが、目には見えない心の部分も大切に受け止めてあげてほしいと思います。

 K子ちゃんの新しい曲が楽しみです。以前聴かせていただいたピアノ曲は、和声の移行がなめらかな心地よい作品でした。いただいた手紙も、内容に重みのあるすばらしいものでした。豊かな感性というのは音楽などの芸術、物語や詩などの文学の世界の生命線であるばかりか、人と人の交わりにおいても大切にしたいものです。K子ちゃんの繊細な感受性、それは、お母様からの何よりのプレゼントなのでしょうか。とても楽しみです、K子ちゃんの未来。

                                      川上小学校 平 野 武

 

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エピローグ / やっぱり子どもたちのおかげで

 

 だらだらと駄文を連ねてしまった。教職32年余、私のような者が、こんな好き勝手な話をさせてもらえるのも、いつも私のまわりにたくさんの子どもたちがいてくれたからだ。私自身、どれだけのことができたか、はなはだ心許ないかぎりであるが、教師になってほんとうによかった。実に多くの学びを得たからだ。やっぱり子どもたちのおかげだ。そんな子どもたちが大好きだ。ただし、盲目的に子どもたちを愛してきたわけではない。子どもを甘やかしてきたわけでもない。教師としてというより一人の大人として果たすべき責任が大事であると考えるからである。教育は結果責任であると思ってきた。やがて大人になる子どもたちに、社会の一員として自立かつ自律できる力をつけてやるのが大人の使命である。そのために、まずは大人が子どもを豊かにそして確かに育てる力を持たねばならない。私の尊敬するK保育園の園長先生は、「子育ては己育てだ」とお話された。しつけ、子育て、教育等に関わる大人の責任もしくは喜びはこの言葉につきる。

 

は人が好きだ。それぞれいいところも、たりない点もふくめてその人丸ごと大切な存在だからだ。これまで私なりにせいいっぱい指導してきたつもりだが、実は、私が子どもたちから教えられることのほうがはるかに多かったということを、今幸せに感じている。そう考えると、冒頭述べたとおり、人との出会いこそ生涯の学びなのか。

これまで自分を省みることなく過ごしてきた。退職してはじめて少し立ち止まって考えた。何よりも「人あっての今の自分」「まわりの人の助け」ということをしみじみと、また、この上なくありがたく感じるところだ。同時に、自分の無知をあらためて思い知らされるところでもある。はなはだ未熟、知らないことの多い私ではあるが、知らないことが多いということは、学ぶべきことがたくさん私には残されているということなのだろう。それを励みに、やはり、今後も前を向いてしっかり進みたいと考えている。

勇気をあげるつもりが実は私が子どもたちから勇気をもらったのだ。やっぱり子どもたちのおかげ、本当にありがたいことだ。これまで、はかりしれない勇気をもらって、私が今あるのだ。これからも、人のよさが分かる人間、また、人のありがたさに心から感謝できる人間であり続けたいと強く感じるところである。それ以上に、私自身、今度こそ人に勇気をあげることのできる人間を目指さなければと自戒しつつ・・・ 。

 

東中学校区青少年健全育成会役員OB 平 野 武 男